「事業仕分け」に思う
2009年11月16日
今、国の事業仕分けがマスコミを賑している。これまで地方自治体で実績をあげてきた事業仕分けを見てきて、私も大いに期待していた。しかし公開されたその中身を見て、正直、愕然としている。これではこれまで行われてきた本来の事業仕分けではない。表題に「」が付いているのはそのためだ。
もちろん事業仕分けによって税金が使われる事業の中身を国民がはじめて理解することになる意義は大きい。その結果、国民にも政策に対する当事者意識が芽生えてくるだろう。事業を実施する政策当局者の意識も次第に変わってくる。役所の中の内輪の論理や既得権益を公開討論に晒すことで虫干しにされ、国民目線での視点へ意識付けが起こる。いわば双方の意識改革運動として、同じ方向にともに向かっている活動なのだ。少なくとも地方自治体で行われている事業仕分けでは仕分け人たちはそのことを意識して取り組んでいた。
ところが今、繰り広げられている国の「事業仕分け」はまさに現代版の人民裁判、公開処刑の様相を呈している。マスコミは単純にベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)に役割を割り振って、痛快な政治ショーとしてはやし立てる。これでは折角の事業仕分けも台無しである。仕分け人の中には事業仕分けの本来の趣旨を十分理解せず、不必要に敵対的な言葉の暴力で溜飲を下げている人もいる。もちろん見識ある立派な方々もいらっしゃるが、そもそも仕分け人の選任プロセスにも納得感が必要ではないだろうか。選挙で選ばれた国会議員ならば兎も角も、そうでない民間委員は選任基準を明確にすべきだろう。国の事業では、例えば国際的な視点、安全保障の視点など、地方自治体の事業とは違った視点も要求される。しかしながらそういうことも考慮された形跡は見当たらない。そういう人々で構成された会議で、多数決で廃止かどうかを結論づけられていく光景に、多くの人は危うさを感じている。
そもそも事業仕分けは市民生活に直結するような足元の個別事業を市民目線で見直すための手法である。政治案件の判断や政策判断はなじまない。したがって予算の削減額についての過剰な期待も禁物だ。マスコミは連日、「事業仕分けで目標の3兆円を達成できるか」という議論を繰り広げる。しかし事業仕分けの目的は本来、予算の削減ではないはずだ。事業のあり方を見直すことにある。政策判断をきちっと政治主導で行うべきことまで事業仕分けに押し付けてはいないだろうか。
今回の事業仕分けでもう一つ気になるのが、財務省が陰に陽に仕切っていることである。論点を最初に財務省が指摘して議論が始まり、明らかに仕分けの議論を誘導している。そこに本来の事業仕分けが予算査定作業に変質させられていることを垣間見ることができる。
事業仕分けは改革のための一つの素晴らしい手法である。折角の改革への取り組みに対して、その運用を歪めることにならないよう祈りたい。それがひいては手法そのものに対するアレルギーになることだけは避けなければならない。
*出所の記載がないものは新聞のコラムとして寄稿したもの
