細川昌彦 Masahiko Hosokawa

現在、中部大学 中部高等学術研究所 教授に就任しております。
大学とともに、グローバル企業、自治体などの顧問、アドバイザー、そして講演などもさせていただきながら、それを糧に転換期をむかえたこれからの地域、日本を考えていきたいと思います。

最新記事

  • 2017年06月29日 [ コラム ]

    「コンクール大国」から「バレエ大国」に脱皮するには

    日本は「バレエ大国」なのか?


    先週、モスクワ国際バレエコンクールで日本人ダンサーが受賞した。以前からローザンヌなど有名な国際コンクールでの日本人の上位入賞の活躍は目覚ましいものがあった。吉田都、熊川哲也ら有名なダンサーもローザンヌ国際バレエコンクールで開花した。

    まさに日本は「バレエ大国」として海外でも評判になっている。

    何故だろうか。

    まずバレエ人口の多さだろう。日本の伝統文化でもないのに、町のあちこちにバレエ教室があって、全国で1万から1万5千にも上り、バレエ人口は40万人とも50万人と言われている。少女時代の「お稽古事」として定着しているのだ。

    そこに日本人特有の真面目さ、努力、練習熱心さが加わっている。そういう裾野の広さ、厚みは世界でも群を抜いている。


    バレエダンサーは職業なのか?

    しかし問題はその先だ。

    日本ではバレエダンサーは職業として成り立っていないようだ。そこで勢い若い才能ある人材は海外流出する。

    私はかつてNYに仕事で駐在していた時、世界的なバレエダンサーの踊りをしばしば楽しんでいた。そのNYでは日本人バレエダンサーも下積みながら数多くいた。

    彼らによると、日本ではダンサーとして生活していけないと言う。ダンスカンパニーに所属しても報酬はごくわずかで、無給の場合さえある。しかも出演するのにチケットを何十枚も大量に自分で売りさばかなければいけない。そうでなければいい役も得られない。舞台の衣装代も自分の負担だ。バレエを踊ってお金を稼ぐのではなく、お金を払って踊っているのだ。

    バレエ教室を開いて、その月謝で生計を立てられれば幸運な方だ。

    要するにお金に余裕がないと続けられない仕組みになっている。

    欧米ではそうではない。ダンスカンパニーがダンサーの生活保障をしている。年金もあるので、職業として確立しているのだ。英国ロイヤル・バレエ団、パリ・オペラ座バレエ団、NYのアメリカン・バレエ・シアター(ABT)のようにダンスカンパニーの多くが劇場の専属で、政府や自治体の支援も受けているという背景がまるで違うことにもよる。

    そうすると才能のある日本人の若手ダンサーは将来のダンサー人生を夢見て、欧米のダンスカンパニーを目指すことになる。その足掛かり、登竜門が国際コンクールなのだ。ここで入賞して有名ダンスカンパニー付属の名門バレエ学校で生活支援を受けながら、学ぶことができる。そしてその後、そのダンスカンパニーで踊る道が開かれる。

    他方、既にそういうバレエ学校でバレエを習っている欧米人はプロを目指しており、必ずしも国際コンクールに参加しなくても、ダンスカンパニーに所属する道は開かれている。

    もちろん国際コンクールの受賞自身は素晴らしいことで栄誉ではあるが、その背景を考えると、手放しで喜べるわけでもない。

    才能があってもお金に余裕がければ続けられない日本の仕組みに本質的な問題があるようだ。近年、新国立劇場など劇場専属のダンスカンパニーを持つところが出てきて、徐々に待遇も改善されつつあるようだが、まだまだ例外的だ。ほとんどのダンスカンパニーが特定の劇場の専属ではなく、劇場を借りて辛うじて公演しており、ダンサーの負担の上で成り立っているのが実情だ。

    またその悪影響は子供たちにも及んでいる。ダンサーたちが生計を立てるためにやっているバレエ教室では、バレエを教えることを専門に学ばずしてバレエ教師をしている。それが日本のバレエ教育の現状だ。

    欧米のバレエ学校では、バレエ教授法を専門に学んだ者しか教師になれない。子供の骨格の成長を踏まえたうえでの正しい教え方でなければ、子供がその犠牲者になるという。


    日本は「芸術家に優しい国」か?

    バレエほどではないが、似たような問題は、他の芸術の世界でも見られる。

    ヴァイオリン、ピアニストなどの音楽家も有名国際コンクールでの入賞が登竜門になるのは同じだ。大きな国際音楽コンクールで受賞すれば、一流オーケストラとの共演などの演奏機会に恵まれる。

    ではそうでない多くのプレーヤーはどうか。

    日本は誰に師事したかによって影響されるような窮屈な世界だ。その中で演奏機会を探さなければならない。また演奏チケットも自分でさばかなければいけない。

    日本は芸術家に優しい国なのだろうか。

    そもそも寄付の文化が根付いていない中で、企業のメセナ活動も低調なうえに、政府、自治体の文化・芸術関連の予算も貧弱といった資金面の問題もある。さらに職業としてのシステム自身ができていないという根本問題があるようだ。

    欧米とは歴史も文化も違うと言ったら、それまでだが、芸術家としての職業が成り立つ仕組みがあってこそ、国民は素晴らしい芸術に触れることができるのではないだろうか。

    「コンクール大国」から真の「バレエ大国」へ脱皮するために是非とも取り組んでほしいものだ。

  • 2017年06月06日 [ コラム ]

    族議員はやはり健在か、受動喫煙防止法案を踏み倒す

    加計学園問題に目を奪われているうちに、政治の世界では国際的に恥ずかしい事態になっている。受動喫煙防止法案の今国会での法案提出を断念する。厚労省案は国際標準から原則、屋内罰則付きで禁煙にする。これに対して自民党たばこ議員連盟(約280人)を中心に、自民党が猛反発して徹底抗戦の構えで折り合う見通りが立たないためだ。「たばこを吸う人の権利を認めないのか」「小規模飲食店が経営危機に陥る」などが反対理由だ。塩崎厚労大臣の妥協しない姿勢に自民党は業を煮やしている。

    これは喫煙vs 非喫煙家の対立ではない。国際標準の合理的規制vs旧来の族議員の対立だ。

    合理性は全面禁止に軍配か

    そもそもこの受動喫煙問題は国際的に科学的な根拠に基づいて、議論の余地はない。すでに受動喫煙が肺がんのリスクを上げるのは確実であると科学的に証明されている。非喫煙者が受動喫煙を繰り返すことで、疾患リスクが通常の1.3倍になるそうだ。少なくとも年間15000人が、受動喫煙を理由に肺がんなどの疾患で死亡している。
    そして分煙では健康被害を防ぐ効果なしとされている。先進国では公共施設やレストランなどの屋内全面禁煙は当たり前になっており、日本は先進国とは到底言えない状況だ。WHOは日本を世界最低レベルとしている。

    問題は全面禁煙によって飲食店の売上には悪影響があるかどうかだ。飲食店では売上に大きな打撃を与えると不安視する声があがっている。日本の民間機関でも全面禁煙化が売上に及ぼす影響の調査が実施され、8400億円の損失との調査結果を発表している。しかしこれは飲食店側の予想を聞き取り調査したもので、不安に思う業者は影響あると予想するものだ。

    また既に条例で導入している神奈川県では、飲食店の売上げが減少しているところが多いとの調査結果もある。しかしこれについても、そもそも日本では外食産業は全体に縮小しており、厳しい経営環境だ。他の影響を除いて、条例導入と売上高減少との因果関係を示すものではない。

    したがってこれらはいずれも合理的な根拠にはならず、これらを振りかざして反対するのは大いに疑問だ。

    逆に海外では、影響がないというエビデンスはすでに数多く存在している。各国で既に導入されており、影響を分析したものによると、受動喫煙防止の法律を導入しても飲食店の収入が下がることはなく、逆にファミリー客の利用が増えることなどで売上が上がる場合もあるようだ。

    にもかかわず、自民党内では影響のある、なしの「水掛け論」が行われている。

    こうして見てくると、国際標準の全面禁止をしない合理的理由が見当たらない。

    しかも2020年に東京五輪を控えている。
    2010
    年以降、
    WHOと国際オリンピック委員会(IOC)は五輪開催国の責務として「たばこのない五輪」の推進を要求しており、五輪開催国では、罰則付きで屋内全面禁煙を実施している。
    したがって、日本もやらないという選択肢はないのだ。五輪を開催する以上、国際基準は満たさないと国際的にも恥ずかしい。

    丸川五輪担当大臣も五輪開催にどういう役割を果たしているのか全く存在感がない。少なくともこの問題では厚労大臣任せにせず、リーダーシップを発揮してはどうだろうか。


    自民党の古い利権構造・族議員が跋扈する

    自民党内のたばこ議連は徹底抗戦する。対案を出すものの厚労省案を骨抜きにする案だ。

    声高に反対するのは、葉タバコ農家や飲食店団体などの支援を受ける、いわゆる「たばこ族議員」だ。この法案に反対しなければ選挙が危ない、と危機感をあらわにする。長年の利権と族議員という旧来の根深い構造が横たわっているのだ。

    個々の飲食店は反対でない店も多いが、業界団体としては反対の立場だ。そしてそれを選挙の支持団体とする議員は当然必死に反対する。

    それだけではない。たばこを巡るたばこ族議員の存在も大きい。国際競争力のない国内葉たばこ業者を国際競争から保護する。JTが国産たばこを全量買い入れし、それと引き換えに、JTがたばこの生産、販売を独占する。それをコントロールするのが財務省だ。たばこ需要の減少がたばこ税の税収減になることを嫌う。

    このような長年のもたれ合い構造の関係者にとって、受動喫煙対策はアンチたばこを促進する目障りな存在なのだ。

    もちろん自民党の中にも受動喫煙対策推進の議員もいて、超党派の議連もあるが、残念ながら反対派の大きな声にかき消されている。問題はもっと根深い。法案を先送りして秋の臨時国会の成立を目指すと言うが、果たしてどうだろうか。今は塩崎厚労大臣が自民党に妥協しないでいるので、夏にも予想される内閣改造での大臣交代をにらんで引き延ばしをしたうえで骨抜きにする戦術ではないだろうかとの見方さえある。

    官邸も積極的に調整に乗り出す様子はない。もっともこの問題は「足して2で割る」といった伝統的な手法で妥協をする問題なのだろうか。それでは古い自民党の体質そのものだ。

    これだけ明らかに科学的根拠があって、国際的にも恥ずかしい状況である。問題は判断の物差しをどこに置くかだ。妥協案で現状より前進しても、国際的にみて恥ずかしければ意味がない。このままでは国民の健康よりも旧来の利権を重視しているとしか見えないのではないだろうか。にもかかわらず、族議員の抵抗を許しているのは、政権に危機感がないためではないか。


    野党はこのチャンスを活かせるか

    それならば野党はどうか。

    自民党がこの旧態依然たるしがらみに身動き取れないならば、野党は国民の支持を得る、いいチャンスではないだろうか。喫煙者の割合はどんどん減少して、今や20%以下までになっているのが現実だ。ということはタバコを吸わない8割の人の支持を得るチャンスかもしれないのだ。

    厚労省案を野党共同提案にするのも面白い。

    自民党が族議員の存在で決めきれないでいる「おいしい状況」と思っても不思議ではない。さすがに小池都知事はそこに目をつけ、受動喫煙防止条例を都民ファーストの公約にしている。都議会公明党もそうだ。

    しっかりして欲しいのが民進党だ。党内に分煙推進議連も立ち上げたグループもいて、まとめきれないでいる。

    折角のこの「おいしい状況」を活かす力量が問われている。

  • 2017年05月31日 [ コラム ]

    トランプ大統領が仕掛けた「互恵的」という爆弾

    一人の人間の登場で会議の様相がこれほどまでに変わるものだろうか。

    トランプ大統領の登場によって、最後までもめた今回のG7サミット。結束を誇示するはずのサミットがかえって溝の深さを露呈して終了した。最後の最後まで宣言文が出せるかどうか、悲観的な見方さえあった。私もかつてG7サミットを担当していたが、これほどまでに宣言文の書き方でもめたサミットも珍しい。

    危険な「相互主義」の再来か

    経済分野で最大の問題は「保護主義と闘う」の文言を入れるかどうかで大もめにもめたことだ。10年間毎年G7サミットで確認し続けてきた文言だ。今回、米国は削除を主張したが、これまであった文言の削除は今後米国の保護主義的な措置を認めることにもつながりかねない。激しい応酬の結果、最後は土俵際で踏みとどまって、なんとかこの表現を維持した。

    しかしそのための大きな代償も別途支払っている。「互恵的」という危険な言葉がそれだ。貿易に関して、「自由、公正」に加えて「互恵的」が付け加えられている。「相互主義」とも呼ばれているものだ。

    トランプ大統領は会議の場でこう主張した。「米国が低関税ならあなた方も引き下げるべきだ。あなた方が30%を課すならば、米国も30%に引き上げる」

    私は本コラムで、2月の日米首脳会談において、トランプ大統領が共同記者会見でこの言葉を発した際にも、その危険性を指摘した(2月13日付け日経ビジネスオンライン参照)。80年代の貿易摩擦が激しかった頃、この言葉を使って貿易不均衡の是正、市場開放を迫られた苦い経験があったからだ。幸い日米首脳会談での共同声明の作成では、この言葉が盛り込まずに「自由、公正」でとどめるよう日本政府も頑張った。しかし今回は、全体が決裂しかねないギリギリの状況の中で、最後は抗しきれなかったようだ。それが欧州も絡んだ多国間交渉の難しさだ。

    決裂も厭わない者と結束を重視する者とでは交渉力が違う。

    一部の論者は、米国の矛先は中国で、日本は多くの品目で関税を撤廃しているので心配する必要はない、と気休めを言う。これは過去の歴史を知らないのだろう。日本政府の中でもこの言葉の危険性を理解しているかどうかは、過去の貿易摩擦の経験の有無によって明らかに濃淡がある。

    「互恵的」とは関税の相互主義だけを言うのではない。さまざまな使い方がされる。さらに宣言文では「相互の利益を創出する」との文言も挿入されており、将来、貿易の結果の利益も相互にバランスしていることまで意味しかねない。こうした「危険な言葉」を認めざるを得なかったのだ。

    日本が特に注意すべきは、今後繰り広げられる日米経済対話だ。米国がこの武器を振りかざしてどう攻めてくるか。この危険な言葉との闘いの正念場はこれからだ。

    結束の接着剤は中国

    今回のG7サミットは貿易問題、パリ協定など、経済分野での米欧の対立が顕在化して、協調できないまま終わった。価値観の共有だけでは結束の維持が難しくなったのが今日のG7サミットの課題だ。そうした中で、日米欧がまとまって異論がないのが対中国であった。いわば接着剤の役割を担ったとも言える。

    ダンピング、市場歪曲的な補助金など明らかに中国を念頭に置いた問題を宣言文でも並べて、撤廃の推進で共同歩調を取った。また鉄鋼、アルミなどの中国の過剰生産問題も昨年のサミットから盛り込まれた共通の世界経済の懸念だ。

    また中国が製造業で世界の強国を目指した戦略として、2015年に「製造2025」を発表したが、問題はその具体的展開だ。外国企業に対して中国市場への参入と引き換えに、技術の移転を迫ることが懸念されている。また外国企業の買収もアグレッシブに行い、このような中国の産業政策への警戒感は特に欧州の産業界には強い。今回の声明では、こうしたことに対する懸念も盛り込まれた。

    翻って日本の産業界の反応はどうか。正直言って危機感は伝わってこない。個社では中国の要求に応じざるを得ない。産業界全体の問題として、欧米の産業界との連携を持ちながら、もっと危機感をもった対応をすべきだろう。

    世界経済の最大の問題は中国問題であることは間違いない。この問題で結束することこそ、G7サミットの経済分野での今日的な存在意義なのだ。

    またこれらの問題はいずれも日米経済対話でも深掘りされるテーマである。日米経済対話を対立から協力の構図にしていくカギが中国問題であることは、本コラムでも指摘したところである(4月20日日経ビジネスオンライン)

    今回のG7サミットの首脳宣言を受けて、こうした日米経済対話での成果をOECDなど欧州も巻き込んだ仕掛けにつなげていく。今後、このような通商戦略全体が連動した大きな展開を期待したい。