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  • 2017年07月22日 [ コラム ]

    美術館はなぜデートスポットにならないのか?

    先日の新聞報道によると、観光庁、文化庁は訪日客をもっと増やすために、美術館、博物館の閉館時間を延長する取組みに力を入れるという。既に延長している美術館もあるが、さらに拡大していきたいとのことである。外国人観光客から要望も多いからだという。

    もちろん大変いいことではある。ただし訪日客の誘致が目的であっていいのだろうか。また閉館時間を延長するだけでいいのだろうか。

    もっと本質的なことを忘れてはならない。それは何か。

    ***

    街の賑わいを創る発想とは


    日本の国公立美術館では閉館時間を午後5時か6時にしているところが多い。これはいわゆる「お役所仕事」だからだろう。私は10年以上前から、せめて金曜の夜ぐらいは閉館時間を夜9時にしてはどうか、と言い続けてきた。それだけではない。コンサートホールもそうだ。コンサートの開演時間も日本は午後6時か6時半だが、欧米のように夜8時にしてはどうか、とも提唱してきた。

    その理由はこうだ。

    :

    平日のコンサートホールでは奥さま族ばかり楽しんでいるというのは日本独特の光景だ。そこで開演時間を遅らせると、会社帰りのビジネスマン、ビジネスウーマンも楽しめるようになる。欧米のようにコンサート開演前にプレ・シアター・ディナーも楽しんでからコンサートに行くことも可能だ。結果的に街での消費も喚起される。

    閉館時間が遅い美術館は大人のデートスポットにも変貌する。すると夜、自然と街に人の流れができて「街の回遊性」が生まれるのだ。それが都市の魅力を増やし、活力を高めることになる。決して訪日外国人のためだけではない。もっと本質的な「街の賑わい・活力を創る都市戦略」なのだ。

    各地の都市戦略で見られる共通の問題がある。それはハード偏重だ。ホールや美術館といったハードを整備することばかりが議論される。むしろ開演時間、閉館時間といったシステムを工夫するソフトこそ大事なのだ。

    ***

    美術館が人を惹きつける


    スペインにかつて鉄鋼で栄えた、屈指の工業都市のビルバオという町がある。鉄鋼業の衰退とともに町は一時寂れたが、町の活性化の一環として有名なグッゲンハイム美術館を誘致した。そのことによって今や見事に人気観光地として再生している。美術館の建物が斬新なデザインであるうえに閉館時間は平日でも夜8時で好評だ。訪れる観光客は週末だけではなく楽しめる。観光戦略としては当然の対応だろう。

    :

    ニューヨークの近代美術館(MOMA)では夏になると、夜、中庭でジャズの生演奏を楽しむ人々で賑わう。単に絵画の鑑賞だけにとどまらない、エンターティメントがあるのだ。この美術館のミュージアムショップはアートの魅力たっぷりの品々が陳列されて楽しいが、そういうわくわくする仕掛けを工夫している。

    また毎週金曜日の夜はフリー・フライデーナイトという入館料無料のプログラムが用意されている。これはユニクロがスポンサーとして契約しており、チケットはユニクロのデザインだ。

    こうして集客ビジネスとして随所にアイデア満載だ。

    :

    日本にも東京にある民間美術館で平日の夜9時、10時まで楽しめるところも出てきている。六本木、渋谷といった立地の特色を活かした経営戦略だろう。しかし地方の公立美術館では未だ硬直的なお役所仕事がほとんどだ。

    そういう中で異色なのが長崎県美術館である。公立美術館としては異例の夜8時閉館で、

    館内にある運河を見下ろすカフェではワインなど楽しむカップルの姿もある。美術愛好家からは多少抵抗もあったかもしれないが、「敷居を低くして、人の集い、くつろぐ場所」というコンセプトを明確にした戦略が多くの来訪者を集めている。

    * *

    美術館、博物館、コンサートホールなどまだまだ十分活かされていない資産は転がっている。特に「夜」という都市の魅力を高めるうえで大事な時間帯が活かされていない。そういう意味で閉館時間は大事な要素だ。ただそれだけでは十分ではない。その時間帯に楽しめる仕掛けづくりも併せて工夫する必要がある。

    それができていない原因はお役所仕事と「美術館とはこういうものだ」という固定観念だ。柔軟な発想でシステムを見直すだけでもっと集客ビジネスとして活きてくる。

    夜だけはBGMが流れる中でグラス片手に絵を鑑賞する。そんな型破りな美術館があってもいいのではないだろうか。美術鑑賞を汚すものとの受け止め方をする人も中にはいるだろうが、そういう人には昼間ゆっくり鑑賞していただいたらどうだろうか。

  • 2017年07月18日 [ コラム ]

    チーズと自動車に隠された日欧EPAの本質~米中を睨んだ国際ルール作りの思惑~

    日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)が、大枠合意に向けて交渉のヤマ場を迎えている。チーズ、ワイン、牛肉・豚肉などの農産物と自動車・自動車部品の関税引き下げを巡る攻防に関心が集まっているが、本質はそこにはない。米中という大国を睨んで、日欧共同の国際的ルールづくりだ。

    米国抜きTPPと同様に、日本が国際的なルール作りで主導権を握れるか

    日欧EPA交渉の本質はチーズや自動車の関税引き下げだけではない。

    日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)が、大枠合意に向けて交渉のヤマ場を迎えている。現在の焦点は、チーズ、ワイン、牛肉・豚肉などの農産物と自動車・自動車部品の関税引き下げを巡る攻防だ。もちろん国内産業に与える影響は大きく、また消費者の生活に直結して分かりやすいこともあって、メディアの報道はこの点に集中している。しかし、それだけに目が行って、日欧EPAの持つもっと本質的な意味合いを見失ってはならない。

    米国が環太平洋経済連携協定(TPP)離脱を表明して、日本の通商戦略における日欧EPAの重要性はますます高まっている。

    米国、中国のように自らの巨大な市場規模を背景にパワーゲームを展開できる国々と違って、日本にはルールに基づいて公正な競争が行われる環境が不可欠だ。つまり、ルール作りで主導権を発揮することが通商戦略の基本スタンスとなる。

    TPPはまさにそれを今後成長が期待されるアジア市場で具体化するものであった。米国が離脱しても米国抜きでのTPPを実現させようとする意味はそこにある。同時に同じ先進国同士として、EUとのEPAは今後グローバルなルール作りで日本が主導権を発揮するうえで大きな意味を持つのだ。

    日欧は規制・ルールで協力できる

    例えば、日欧EPAの中には、「規制に関する協力」が盛り込まれている。これは日欧の間で規制に関する基本的な思想が近いということが背景にある。

    この規定を受けて、今後、自動車の自動運転など規制当局間で基準についての擦り合わせなどが期待されている。IT業界主導の米国に対して、日欧は自動車業界が主導する意味でポジションは近い。

    化学物質の管理など様々な分野の規制で、日欧は事前審査、産業界との関係など似たアプローチを志向する。そういう意味で共通ルールを目指しやすい関係にあると言える。

    地理的表示の相互認証なども立場の近い日欧が協力できる分野だ。カマンベール・チーズ、ボルドーワイン、松阪牛など、歴史のある国ならではの強みを活かすためのルール作りだ。

    電子商取引のルールもTPPと同様に、先進国としてこの分野のルール作りを主導することはビジネスをグローバルに展開するうえで不可欠だ。EU内の加盟国間で経済の発展段階が違うことから、EU内の意見が分かれるので予断を許さないが、合意できれば大きな成果になる。

    「木を見て森を見ず」になってはならない

    こうした日欧の動きを注意深く見つめているのが米国企業だ。日欧主導のルール作りが先行することによって、将来におけるグローバルなルール作りでの交渉の地合いが悪くならないかが関心の向きだろう。こうした米国ビジネス界の関心は将来における米国のTPP復帰への誘因にもなり得るものだ。

    またRCEP(東アジア経済連携協定)の交渉においてもより質の高いものにするうえでプラスに作用するだろう。

    そうした多国間の枠組み同士の相互作用性を考えれば、日欧EPAの合意はグローバルなルール作りという日本の生命線を確保するうえで、大きな弾みをつけることに注目したい。

    チーズ、自動車といった個別品目の関税引き下げだけでなく、こうした本質的な意味にも目を向けた政治決断が求められる。まさに「木を見て森を見ず」にならないようにしたいものだ。

  • 2017年07月12日 [ コラム ]

    中国がほくそ笑む、トランプの独善

    5月のG7に続き、またもや米国トランプ大統領がかき回した今回のG20。トランプ大統領の国際協調など全く無視した主張の結果、孤立だけが目についた。貿易問題しかり、地球温暖化問題しかりだ。敢えて孤立を厭わないということだろうが、その結果、中長期的な米国の国益が損なわれていることに気づかないようだ。これはトランプ政権が未だ政府高官の重要ポストを任命できず、その結果、米国の外交戦略が極めて粗雑になっている結果だ。そしてこの事態をほくそ笑んで見ているのが中国だ。

    本来の責めを負うべきは中国のはずが・・・

    中国は本来、国有企業の貿易歪曲的な補助金や恣意的な輸入制限措置、高い関税など「保護主義のデパート」だ。巨大な中国市場を背景に、外国企業は差別的、不公平な競争条件に従わざるを得ない。各国は中国に是正の圧力をかけたいところだ。ところが米国のトランプ大統領が声高に保護主義的な発言を繰り返すことによって、各国の批判の矛先は米国に向わざるを得ない。その陰に隠れて中国への風圧は弱まってしまう。

    例えば鉄鋼問題がそうだ。

    問題の根源は中国による過剰生産だ。余剰の鉄鋼を大量に安値輸出している問題を是正しなければならないのは中国のはずだ。今回のG20首脳宣言でも早急な具体的な解決策の策定を関係国に求めているが、ねらいは中国に対して強い圧力をかけることだ。

    ところがこれに対してトランプ政権が通商拡大法232条による輸入制限の発動を振りかざしているのだ。これは自国の安全保障上の理由に基づいて発動するもので、中国だけを対象とするのではなく、日欧も巻き添えを食らう恐れがある。EUはこれに激しく反発して、これが発動されれば即座に対抗措置を講ずるとしている。その結果、世界貿易は報復合戦に陥る恐れがある。

    本来この問題は日米欧が結束して中国に対して圧力をかける問題である。それにもかかわらず、米国の鉄鋼輸入に対する保護主義的な手段に批判が集まり、日米欧の足並みが乱れているのだ。中国にとってトランプ政権の対応は願ってもない本質そらしで、これほどありがたいものはない。

    地球温暖化でも中国は“いい子ぶる”

    地球温暖化を防止するためのパリ条約では、日本、欧州など主な排出国はCO2の総量を減らす削減目標を出している。これに対して中国はどうか。

    中国のCO2の削減目標はGDP当たりの排出量の削減である。これは根本的に意味が違う。経済成長に伴って排出量が増えることを許容して、何ら痛みを伴わない。中国は世界最大のCO2排出国であるにもかかわらず、果たしてこれで国際的な責任を果たしていると言えるだろうか。

    それにも拘らず、中国は国際的に批判されてはいない。それどころか米国がパリ条約からの脱退を宣言したことから、米国が国際的に批判を受け、孤立している。これに対して中国は平然と地球温暖化に前向きな振る舞いで欧州と協調している。まさにしたたかに立ち回っているのだ。

    中国の米欧分断に日本はどう向き合うか

    こうしていずれも中国は国際的な批判の矢面に立つことなく、“中国問題”は米国と欧州の対立の構図の中にかき消されている。

    欧州と米国の間の亀裂は決して日本にとって望ましい状況ではない。しかし安倍総理が橋渡し役を果たせるような生易しい溝でもない。

    その結果が欧州と中国の接近が起こっている。これは日本がもっとも警戒すべき事態だ。

    AIIBの設立にも見られるように、日米欧を分断する作戦は中国の伝統的な「孫子の兵法」だ。また欧州は中国にとって先端技術の入手先として欧州は絶好のパートナーだ。特にドイツ企業の中国への食い込み方は各産業分野で顕著だ。欧州にとっても地理的に遠い中国は元来、自らの安全保障上の懸念を持つべき対象ではないことも背景にある。日本にとっては安全保障上見過ごせない問題だ。中国から見れば、兵法三十六計の「遠交近攻」ということにも通じる。

    こうした状況で、日本としては少なくとも経済面では欧州を繋ぎ止めておくことが必要だろう。先般大枠合意した日欧EPAはそうした戦略的な視点からも見るべきだろう。

  • 2017年07月10日 [ コラム ]

    「したたか中国」と「声高トランプ」が共存する危険~反保護主義が空しく響くG20~

    したたかな中国は「埋没」を決め込む

    *

    今回のG20において中国の存在感を出せず、「埋没感」というのが日本の新聞の評価だ。果たしてそうだろうか。

    むしろ中国一流のしたたかな計算から敢えて「埋没」したのではないか。

    中国は本来、国有企業の貿易歪曲的な補助金や恣意的な輸入制限措置、高関税など保護主義のデパートだ。ところが米国のトランプ大統領が声高に保護主義的な発言を繰り返す事態に直面して、各国の批判の矛先は米国に向かわざるを得ない。その陰に隠れて中国は問題にされずにいる。

    その典型例が鉄鋼問題だ。

    問題の根源は中国による過剰生産だ。余剰の鉄鋼を大量に安値輸出している問題を是正しなければならないのは中国だ。今回のG20首脳宣言でも早急な具体的な解決策の策定を要求されて、中国に対しては強い圧力がかかっている。ところがこれに対してトランプ政権がちらつかせているのが通商拡大法232条による輸入制限の発動だ。自国の安全保障上の理由に基づくだけに発動は中国だけを対象とせず、日欧も巻き添えを食らう恐れがある。EUはこれに反発して、発動されれば即座に対抗措置を講ずるとしている。そうすると世界貿易は報復合戦の嵐だ。

    本来日米欧が結束して中国への圧力を強化すべき問題なのに、米国の鉄鋼輸入に対する保護主義的な手段に批判が集まり、日米欧の足並みが乱れている。中国にとってこれほどありがたい事態はない。

    米国トランプ政権にもう少し中国のしたたかさがあれば、G20における1対19の構図での「1」の座は、米国から中国に入れ替わっていただろう。

    声高なトランプ大統領は着々と”成果“も

    *

    ただし、その米国も孤立しながらも、トランプ大統領が声高に主張し続けることによって着実に“成果”を出している面もある。

    5月のG7サミットでは、「保護主義に対抗する」との文言と引き換えに、「互恵的な貿易」との危険な言葉を盛り込ませることに成功したことは、以前指摘したところだ。今後この言葉を盾に、対米貿易黒字の相手国に対して「不公正」だと主張することが可能になるとの思惑だ。

    今回のG20では、さらに一歩進んで、「保護主義と闘う」と宣言文に明記するのと引き換えに、不公正な貿易相手国に対して関税引き上げといった「正当な対抗措置」を取ることを認めさせた。

    この結果、互恵的かどうかで公正さを判断して、相手国に対して保護主義的な対抗措置を取ることを正当化する道を開くことになる。

    こうして着実に保護主義へのお墨付きを“前進”させているのだ。反保護主義の抽象的・精神論的な文言より、余程実利があるのだ。

    駄々っ子のように声高に主張し続けるトランプ大統領。会議全体の結束・協調にために仕方なしに主張を受け入れる各国首脳。この構図はG7G20も変わらない。

    こうした文言の積み重ねが米国の現実の行動につながるだろう。それは世界に保護主義の連鎖という悪夢の結果をもたらすことになるのではないか。そこに危機感を持つべきだろう。

  • 2017年06月29日 [ コラム ]

    「コンクール大国」から「バレエ大国」に脱皮するには

    日本は「バレエ大国」なのか?


    先週、モスクワ国際バレエコンクールで日本人ダンサーが受賞した。以前からローザンヌなど有名な国際コンクールでの日本人の上位入賞の活躍は目覚ましいものがあった。吉田都、熊川哲也ら有名なダンサーもローザンヌ国際バレエコンクールで開花した。

    まさに日本は「バレエ大国」として海外でも評判になっている。

    何故だろうか。

    まずバレエ人口の多さだろう。日本の伝統文化でもないのに、町のあちこちにバレエ教室があって、全国で1万から1万5千にも上り、バレエ人口は40万人とも50万人と言われている。少女時代の「お稽古事」として定着しているのだ。

    そこに日本人特有の真面目さ、努力、練習熱心さが加わっている。そういう裾野の広さ、厚みは世界でも群を抜いている。


    バレエダンサーは職業なのか?

    しかし問題はその先だ。

    日本ではバレエダンサーは職業として成り立っていないようだ。そこで勢い若い才能ある人材は海外流出する。

    私はかつてNYに仕事で駐在していた時、世界的なバレエダンサーの踊りをしばしば楽しんでいた。そのNYでは日本人バレエダンサーも下積みながら数多くいた。

    彼らによると、日本ではダンサーとして生活していけないと言う。ダンスカンパニーに所属しても報酬はごくわずかで、無給の場合さえある。しかも出演するのにチケットを何十枚も大量に自分で売りさばかなければいけない。そうでなければいい役も得られない。舞台の衣装代も自分の負担だ。バレエを踊ってお金を稼ぐのではなく、お金を払って踊っているのだ。

    バレエ教室を開いて、その月謝で生計を立てられれば幸運な方だ。

    要するにお金に余裕がないと続けられない仕組みになっている。

    欧米ではそうではない。ダンスカンパニーがダンサーの生活保障をしている。年金もあるので、職業として確立しているのだ。英国ロイヤル・バレエ団、パリ・オペラ座バレエ団、NYのアメリカン・バレエ・シアター(ABT)のようにダンスカンパニーの多くが劇場の専属で、政府や自治体の支援も受けているという背景がまるで違うことにもよる。

    そうすると才能のある日本人の若手ダンサーは将来のダンサー人生を夢見て、欧米のダンスカンパニーを目指すことになる。その足掛かり、登竜門が国際コンクールなのだ。ここで入賞して有名ダンスカンパニー付属の名門バレエ学校で生活支援を受けながら、学ぶことができる。そしてその後、そのダンスカンパニーで踊る道が開かれる。

    他方、既にそういうバレエ学校でバレエを習っている欧米人はプロを目指しており、必ずしも国際コンクールに参加しなくても、ダンスカンパニーに所属する道は開かれている。

    もちろん国際コンクールの受賞自身は素晴らしいことで栄誉ではあるが、その背景を考えると、手放しで喜べるわけでもない。

    才能があってもお金に余裕がければ続けられない日本の仕組みに本質的な問題があるようだ。近年、新国立劇場など劇場専属のダンスカンパニーを持つところが出てきて、徐々に待遇も改善されつつあるようだが、まだまだ例外的だ。ほとんどのダンスカンパニーが特定の劇場の専属ではなく、劇場を借りて辛うじて公演しており、ダンサーの負担の上で成り立っているのが実情だ。

    またその悪影響は子供たちにも及んでいる。ダンサーたちが生計を立てるためにやっているバレエ教室では、バレエを教えることを専門に学ばずしてバレエ教師をしている。それが日本のバレエ教育の現状だ。

    欧米のバレエ学校では、バレエ教授法を専門に学んだ者しか教師になれない。子供の骨格の成長を踏まえたうえでの正しい教え方でなければ、子供がその犠牲者になるという。


    日本は「芸術家に優しい国」か?

    バレエほどではないが、似たような問題は、他の芸術の世界でも見られる。

    ヴァイオリン、ピアニストなどの音楽家も有名国際コンクールでの入賞が登竜門になるのは同じだ。大きな国際音楽コンクールで受賞すれば、一流オーケストラとの共演などの演奏機会に恵まれる。

    ではそうでない多くのプレーヤーはどうか。

    日本は誰に師事したかによって影響されるような窮屈な世界だ。その中で演奏機会を探さなければならない。また演奏チケットも自分でさばかなければいけない。

    日本は芸術家に優しい国なのだろうか。

    そもそも寄付の文化が根付いていない中で、企業のメセナ活動も低調なうえに、政府、自治体の文化・芸術関連の予算も貧弱といった資金面の問題もある。さらに職業としてのシステム自身ができていないという根本問題があるようだ。

    欧米とは歴史も文化も違うと言ったら、それまでだが、芸術家としての職業が成り立つ仕組みがあってこそ、国民は素晴らしい芸術に触れることができるのではないだろうか。

    「コンクール大国」から真の「バレエ大国」へ脱皮するために是非とも取り組んでほしいものだ。

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