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  • 2017年06月29日 [ コラム ]

    「コンクール大国」から「バレエ大国」に脱皮するには

    日本は「バレエ大国」なのか?


    先週、モスクワ国際バレエコンクールで日本人ダンサーが受賞した。以前からローザンヌなど有名な国際コンクールでの日本人の上位入賞の活躍は目覚ましいものがあった。吉田都、熊川哲也ら有名なダンサーもローザンヌ国際バレエコンクールで開花した。

    まさに日本は「バレエ大国」として海外でも評判になっている。

    何故だろうか。

    まずバレエ人口の多さだろう。日本の伝統文化でもないのに、町のあちこちにバレエ教室があって、全国で1万から1万5千にも上り、バレエ人口は40万人とも50万人と言われている。少女時代の「お稽古事」として定着しているのだ。

    そこに日本人特有の真面目さ、努力、練習熱心さが加わっている。そういう裾野の広さ、厚みは世界でも群を抜いている。


    バレエダンサーは職業なのか?

    しかし問題はその先だ。

    日本ではバレエダンサーは職業として成り立っていないようだ。そこで勢い若い才能ある人材は海外流出する。

    私はかつてNYに仕事で駐在していた時、世界的なバレエダンサーの踊りをしばしば楽しんでいた。そのNYでは日本人バレエダンサーも下積みながら数多くいた。

    彼らによると、日本ではダンサーとして生活していけないと言う。ダンスカンパニーに所属しても報酬はごくわずかで、無給の場合さえある。しかも出演するのにチケットを何十枚も大量に自分で売りさばかなければいけない。そうでなければいい役も得られない。舞台の衣装代も自分の負担だ。バレエを踊ってお金を稼ぐのではなく、お金を払って踊っているのだ。

    バレエ教室を開いて、その月謝で生計を立てられれば幸運な方だ。

    要するにお金に余裕がないと続けられない仕組みになっている。

    欧米ではそうではない。ダンスカンパニーがダンサーの生活保障をしている。年金もあるので、職業として確立しているのだ。英国ロイヤル・バレエ団、パリ・オペラ座バレエ団、NYのアメリカン・バレエ・シアター(ABT)のようにダンスカンパニーの多くが劇場の専属で、政府や自治体の支援も受けているという背景がまるで違うことにもよる。

    そうすると才能のある日本人の若手ダンサーは将来のダンサー人生を夢見て、欧米のダンスカンパニーを目指すことになる。その足掛かり、登竜門が国際コンクールなのだ。ここで入賞して有名ダンスカンパニー付属の名門バレエ学校で生活支援を受けながら、学ぶことができる。そしてその後、そのダンスカンパニーで踊る道が開かれる。

    他方、既にそういうバレエ学校でバレエを習っている欧米人はプロを目指しており、必ずしも国際コンクールに参加しなくても、ダンスカンパニーに所属する道は開かれている。

    もちろん国際コンクールの受賞自身は素晴らしいことで栄誉ではあるが、その背景を考えると、手放しで喜べるわけでもない。

    才能があってもお金に余裕がければ続けられない日本の仕組みに本質的な問題があるようだ。近年、新国立劇場など劇場専属のダンスカンパニーを持つところが出てきて、徐々に待遇も改善されつつあるようだが、まだまだ例外的だ。ほとんどのダンスカンパニーが特定の劇場の専属ではなく、劇場を借りて辛うじて公演しており、ダンサーの負担の上で成り立っているのが実情だ。

    またその悪影響は子供たちにも及んでいる。ダンサーたちが生計を立てるためにやっているバレエ教室では、バレエを教えることを専門に学ばずしてバレエ教師をしている。それが日本のバレエ教育の現状だ。

    欧米のバレエ学校では、バレエ教授法を専門に学んだ者しか教師になれない。子供の骨格の成長を踏まえたうえでの正しい教え方でなければ、子供がその犠牲者になるという。


    日本は「芸術家に優しい国」か?

    バレエほどではないが、似たような問題は、他の芸術の世界でも見られる。

    ヴァイオリン、ピアニストなどの音楽家も有名国際コンクールでの入賞が登竜門になるのは同じだ。大きな国際音楽コンクールで受賞すれば、一流オーケストラとの共演などの演奏機会に恵まれる。

    ではそうでない多くのプレーヤーはどうか。

    日本は誰に師事したかによって影響されるような窮屈な世界だ。その中で演奏機会を探さなければならない。また演奏チケットも自分でさばかなければいけない。

    日本は芸術家に優しい国なのだろうか。

    そもそも寄付の文化が根付いていない中で、企業のメセナ活動も低調なうえに、政府、自治体の文化・芸術関連の予算も貧弱といった資金面の問題もある。さらに職業としてのシステム自身ができていないという根本問題があるようだ。

    欧米とは歴史も文化も違うと言ったら、それまでだが、芸術家としての職業が成り立つ仕組みがあってこそ、国民は素晴らしい芸術に触れることができるのではないだろうか。

    「コンクール大国」から真の「バレエ大国」へ脱皮するために是非とも取り組んでほしいものだ。

  • 2017年06月06日 [ コラム ]

    族議員はやはり健在か、受動喫煙防止法案を踏み倒す

    加計学園問題に目を奪われているうちに、政治の世界では国際的に恥ずかしい事態になっている。受動喫煙防止法案の今国会での法案提出を断念する。厚労省案は国際標準から原則、屋内罰則付きで禁煙にする。これに対して自民党たばこ議員連盟(約280人)を中心に、自民党が猛反発して徹底抗戦の構えで折り合う見通りが立たないためだ。「たばこを吸う人の権利を認めないのか」「小規模飲食店が経営危機に陥る」などが反対理由だ。塩崎厚労大臣の妥協しない姿勢に自民党は業を煮やしている。

    これは喫煙vs 非喫煙家の対立ではない。国際標準の合理的規制vs旧来の族議員の対立だ。

    合理性は全面禁止に軍配か

    そもそもこの受動喫煙問題は国際的に科学的な根拠に基づいて、議論の余地はない。すでに受動喫煙が肺がんのリスクを上げるのは確実であると科学的に証明されている。非喫煙者が受動喫煙を繰り返すことで、疾患リスクが通常の1.3倍になるそうだ。少なくとも年間15000人が、受動喫煙を理由に肺がんなどの疾患で死亡している。
    そして分煙では健康被害を防ぐ効果なしとされている。先進国では公共施設やレストランなどの屋内全面禁煙は当たり前になっており、日本は先進国とは到底言えない状況だ。WHOは日本を世界最低レベルとしている。

    問題は全面禁煙によって飲食店の売上には悪影響があるかどうかだ。飲食店では売上に大きな打撃を与えると不安視する声があがっている。日本の民間機関でも全面禁煙化が売上に及ぼす影響の調査が実施され、8400億円の損失との調査結果を発表している。しかしこれは飲食店側の予想を聞き取り調査したもので、不安に思う業者は影響あると予想するものだ。

    また既に条例で導入している神奈川県では、飲食店の売上げが減少しているところが多いとの調査結果もある。しかしこれについても、そもそも日本では外食産業は全体に縮小しており、厳しい経営環境だ。他の影響を除いて、条例導入と売上高減少との因果関係を示すものではない。

    したがってこれらはいずれも合理的な根拠にはならず、これらを振りかざして反対するのは大いに疑問だ。

    逆に海外では、影響がないというエビデンスはすでに数多く存在している。各国で既に導入されており、影響を分析したものによると、受動喫煙防止の法律を導入しても飲食店の収入が下がることはなく、逆にファミリー客の利用が増えることなどで売上が上がる場合もあるようだ。

    にもかかわず、自民党内では影響のある、なしの「水掛け論」が行われている。

    こうして見てくると、国際標準の全面禁止をしない合理的理由が見当たらない。

    しかも2020年に東京五輪を控えている。
    2010
    年以降、
    WHOと国際オリンピック委員会(IOC)は五輪開催国の責務として「たばこのない五輪」の推進を要求しており、五輪開催国では、罰則付きで屋内全面禁煙を実施している。
    したがって、日本もやらないという選択肢はないのだ。五輪を開催する以上、国際基準は満たさないと国際的にも恥ずかしい。

    丸川五輪担当大臣も五輪開催にどういう役割を果たしているのか全く存在感がない。少なくともこの問題では厚労大臣任せにせず、リーダーシップを発揮してはどうだろうか。


    自民党の古い利権構造・族議員が跋扈する

    自民党内のたばこ議連は徹底抗戦する。対案を出すものの厚労省案を骨抜きにする案だ。

    声高に反対するのは、葉タバコ農家や飲食店団体などの支援を受ける、いわゆる「たばこ族議員」だ。この法案に反対しなければ選挙が危ない、と危機感をあらわにする。長年の利権と族議員という旧来の根深い構造が横たわっているのだ。

    個々の飲食店は反対でない店も多いが、業界団体としては反対の立場だ。そしてそれを選挙の支持団体とする議員は当然必死に反対する。

    それだけではない。たばこを巡るたばこ族議員の存在も大きい。国際競争力のない国内葉たばこ業者を国際競争から保護する。JTが国産たばこを全量買い入れし、それと引き換えに、JTがたばこの生産、販売を独占する。それをコントロールするのが財務省だ。たばこ需要の減少がたばこ税の税収減になることを嫌う。

    このような長年のもたれ合い構造の関係者にとって、受動喫煙対策はアンチたばこを促進する目障りな存在なのだ。

    もちろん自民党の中にも受動喫煙対策推進の議員もいて、超党派の議連もあるが、残念ながら反対派の大きな声にかき消されている。問題はもっと根深い。法案を先送りして秋の臨時国会の成立を目指すと言うが、果たしてどうだろうか。今は塩崎厚労大臣が自民党に妥協しないでいるので、夏にも予想される内閣改造での大臣交代をにらんで引き延ばしをしたうえで骨抜きにする戦術ではないだろうかとの見方さえある。

    官邸も積極的に調整に乗り出す様子はない。もっともこの問題は「足して2で割る」といった伝統的な手法で妥協をする問題なのだろうか。それでは古い自民党の体質そのものだ。

    これだけ明らかに科学的根拠があって、国際的にも恥ずかしい状況である。問題は判断の物差しをどこに置くかだ。妥協案で現状より前進しても、国際的にみて恥ずかしければ意味がない。このままでは国民の健康よりも旧来の利権を重視しているとしか見えないのではないだろうか。にもかかわらず、族議員の抵抗を許しているのは、政権に危機感がないためではないか。


    野党はこのチャンスを活かせるか

    それならば野党はどうか。

    自民党がこの旧態依然たるしがらみに身動き取れないならば、野党は国民の支持を得る、いいチャンスではないだろうか。喫煙者の割合はどんどん減少して、今や20%以下までになっているのが現実だ。ということはタバコを吸わない8割の人の支持を得るチャンスかもしれないのだ。

    厚労省案を野党共同提案にするのも面白い。

    自民党が族議員の存在で決めきれないでいる「おいしい状況」と思っても不思議ではない。さすがに小池都知事はそこに目をつけ、受動喫煙防止条例を都民ファーストの公約にしている。都議会公明党もそうだ。

    しっかりして欲しいのが民進党だ。党内に分煙推進議連も立ち上げたグループもいて、まとめきれないでいる。

    折角のこの「おいしい状況」を活かす力量が問われている。

  • 2017年05月31日 [ コラム ]

    トランプ大統領が仕掛けた「互恵的」という爆弾

    一人の人間の登場で会議の様相がこれほどまでに変わるものだろうか。

    トランプ大統領の登場によって、最後までもめた今回のG7サミット。結束を誇示するはずのサミットがかえって溝の深さを露呈して終了した。最後の最後まで宣言文が出せるかどうか、悲観的な見方さえあった。私もかつてG7サミットを担当していたが、これほどまでに宣言文の書き方でもめたサミットも珍しい。

    危険な「相互主義」の再来か

    経済分野で最大の問題は「保護主義と闘う」の文言を入れるかどうかで大もめにもめたことだ。10年間毎年G7サミットで確認し続けてきた文言だ。今回、米国は削除を主張したが、これまであった文言の削除は今後米国の保護主義的な措置を認めることにもつながりかねない。激しい応酬の結果、最後は土俵際で踏みとどまって、なんとかこの表現を維持した。

    しかしそのための大きな代償も別途支払っている。「互恵的」という危険な言葉がそれだ。貿易に関して、「自由、公正」に加えて「互恵的」が付け加えられている。「相互主義」とも呼ばれているものだ。

    トランプ大統領は会議の場でこう主張した。「米国が低関税ならあなた方も引き下げるべきだ。あなた方が30%を課すならば、米国も30%に引き上げる」

    私は本コラムで、2月の日米首脳会談において、トランプ大統領が共同記者会見でこの言葉を発した際にも、その危険性を指摘した(2月13日付け日経ビジネスオンライン参照)。80年代の貿易摩擦が激しかった頃、この言葉を使って貿易不均衡の是正、市場開放を迫られた苦い経験があったからだ。幸い日米首脳会談での共同声明の作成では、この言葉が盛り込まずに「自由、公正」でとどめるよう日本政府も頑張った。しかし今回は、全体が決裂しかねないギリギリの状況の中で、最後は抗しきれなかったようだ。それが欧州も絡んだ多国間交渉の難しさだ。

    決裂も厭わない者と結束を重視する者とでは交渉力が違う。

    一部の論者は、米国の矛先は中国で、日本は多くの品目で関税を撤廃しているので心配する必要はない、と気休めを言う。これは過去の歴史を知らないのだろう。日本政府の中でもこの言葉の危険性を理解しているかどうかは、過去の貿易摩擦の経験の有無によって明らかに濃淡がある。

    「互恵的」とは関税の相互主義だけを言うのではない。さまざまな使い方がされる。さらに宣言文では「相互の利益を創出する」との文言も挿入されており、将来、貿易の結果の利益も相互にバランスしていることまで意味しかねない。こうした「危険な言葉」を認めざるを得なかったのだ。

    日本が特に注意すべきは、今後繰り広げられる日米経済対話だ。米国がこの武器を振りかざしてどう攻めてくるか。この危険な言葉との闘いの正念場はこれからだ。

    結束の接着剤は中国

    今回のG7サミットは貿易問題、パリ協定など、経済分野での米欧の対立が顕在化して、協調できないまま終わった。価値観の共有だけでは結束の維持が難しくなったのが今日のG7サミットの課題だ。そうした中で、日米欧がまとまって異論がないのが対中国であった。いわば接着剤の役割を担ったとも言える。

    ダンピング、市場歪曲的な補助金など明らかに中国を念頭に置いた問題を宣言文でも並べて、撤廃の推進で共同歩調を取った。また鉄鋼、アルミなどの中国の過剰生産問題も昨年のサミットから盛り込まれた共通の世界経済の懸念だ。

    また中国が製造業で世界の強国を目指した戦略として、2015年に「製造2025」を発表したが、問題はその具体的展開だ。外国企業に対して中国市場への参入と引き換えに、技術の移転を迫ることが懸念されている。また外国企業の買収もアグレッシブに行い、このような中国の産業政策への警戒感は特に欧州の産業界には強い。今回の声明では、こうしたことに対する懸念も盛り込まれた。

    翻って日本の産業界の反応はどうか。正直言って危機感は伝わってこない。個社では中国の要求に応じざるを得ない。産業界全体の問題として、欧米の産業界との連携を持ちながら、もっと危機感をもった対応をすべきだろう。

    世界経済の最大の問題は中国問題であることは間違いない。この問題で結束することこそ、G7サミットの経済分野での今日的な存在意義なのだ。

    またこれらの問題はいずれも日米経済対話でも深掘りされるテーマである。日米経済対話を対立から協力の構図にしていくカギが中国問題であることは、本コラムでも指摘したところである(4月20日日経ビジネスオンライン)

    今回のG7サミットの首脳宣言を受けて、こうした日米経済対話での成果をOECDなど欧州も巻き込んだ仕掛けにつなげていく。今後、このような通商戦略全体が連動した大きな展開を期待したい。

  • 2017年05月26日 [ コラム ]

    「文書」の真偽が本質なのか?加計学園問題

    加計学園問題がワイドショー化してきたようだ。この問題を巡るメディアのコメントを聞くと。もっと霞が関の現場を理解したコメントでないと誤解が蔓延するなぁ、との思いを強くする。

    文科省が作成した文書に「「総理のご意向だと聞いている」と内閣府から伝えられた」との記述があったのが発端だ。どうやらこの文書は文科省の担当者が内閣府との交渉状況を次官以下、文科省内部で報告するために作成した内部メモのようだ。役所では日常的に行われる仕事だ。確かに「文書」には違いないが、一般の人が思い描く「公文書」とはわけが違う。役所として責任あるチェックをしたものでもない。

    今、この文書の真偽に焦点が当てられ、この点についての当時の次官の発言まで飛び出している。

    官房長官が「怪文書のような文書」と言ったので、そういう流れになったのだろうが、本来、文書の真偽は本質的な問題ではない。問題はこれをもって加計学園の獣医学部新設の判断を不当に歪めたかどうかだ。

    仮にこのような発言があったとして、この言葉だけを切り取って議論することは適当ではない。どういう状況での発言かを考えるべきだ。言葉は状況の中で意味を持つ。

    状況はこうだ。国家戦略特区で規制緩和を進めようとする内閣府が規制緩和に抵抗する文科省を説得して実施させようとした。それまでの特区制度では、規制官庁の抵抗に会って、なかなか規制緩和が進まなかった。そこで、新たに仕組みに代えて、内閣府が規制官庁と交渉する仕組みにしたのだ。岩盤規制をドリルで打ち砕こう、と発破をかける官邸の意向を受けて、内閣府の担当者も抵抗勢力の役所と闘う意気込みで交渉する。そういう役所同士の激しい交渉の場では、担当者同士のやりとりの中で、勢い余ってこういう言葉を発することは、霞が関の官僚ならば容易に想像できる。

    私も役所同士で交渉していて、相手の役所の担当者に対して、苛立ちからこの手の言葉を発したこともあったものだ。民間企業においても社内で事業部同士の調整の話し合いで「社長の意向だ」という言葉を思わず発する場面もあるのではないだろうか。

    しかしそう言われたからと言って、まともな官僚はひるむものではない。単に役所同士の交渉の場でしばしば飛び交う、昔からよくある「脅し言葉」の一つだ。文科省は内閣府の担当者のこの程度の言葉で、次官まで圧力を感じるような情けない役所なのだろうか。私にはそうは思えない。

    仮にそうであるならば、おかしいと判断した次官は、即座に官邸に対して確認し、筋を通そうと説明するのがトップとして当然の対応ではないだろうか。それができるのが次官であり、それをすべきなのが次官である。それをせずに、今になって「歪められた」と公に発言する当時のトップの姿を文科省の官僚たちはどんな思いで見ているだろうか。

    本質的な問題は、この言葉によって本来あるべき意思決定が歪められたかどうかである。

    52年ぶりの獣医学部の新設だという。既得権から長年獣医の数を増やさないようにしてきた強固な岩盤規制だったのだろう。これだけでなく、成田市における医学部の新設も30年ぶりに国家戦略特区の制度で認められた。構図は同じだ

    このような既得権を打破する規制緩和の動きに対しては、規制を死守したい者にとっては「意思決定が歪められた」ということなのかもしれない。ならばその意思決定の内容の妥当性こそ問題の本質である。

    本件は民主党政権下でも進めようとした規制緩和案件であった。またメディアも抵抗勢力を排して規制緩和を進めるためには内閣のリーダーシップが必要と説いていた。

    そうしたことも含めて、本来国会でこの意思決定の妥当性をきちっと議論すべきなのだろう。これまでそれをしてこなかった怠慢こそ問われるべきではないだろうか。

    さらに厳しく問われるべきは、トップ官僚の在り方だろう。内閣人事局ができて官邸から人事権を振りかざされた官僚が委縮しているとの指摘もされている。そういう面もないわけではないだろうが、あまりそれを過大に考えるのもどうだろうか。霞が関には未だ気概を持った多くの官僚たちがいるのも事実である。彼らはきっとこう思っているだろう。

    「俺たちはこんな情けない官僚ではない!」

  • 2017年05月26日 [ コラム ]

    米国抜きTPPを巡る日本の戦略

    先般、米国抜きの環太平洋経済連携協定(TPP)の閣僚会議で、閣僚声明がまとめられた。内容を見ると、取りまとめはどうやら日本が主導したようだ。

    前回3月に開催されたチリでの閣僚会合では、米国の離脱を受けて、TPPが方向性を見失って漂流しかねない危機的状況であった。日本も国内では「米国抜きTPPTPP11」への慎重論もあって、スタンスを決めかねて様子見だった。

    ところが4月になって官邸主導で米国抜きTPPに決断してから、大きく潮目が変わった。豪州など積極派と連携を取りながら、失いかけたTPPの求心力回復に奔走した。もちろん参加国の意見には依然として隔たりがあるものの、今後の方向性を示す第一関門としては及第点だろう。

    日本が主導した閣僚会合声明に3つの狙い

    今回の声明には随所に日本主導の戦略が盛り込まれている。

    第一に、「早期発効」という目標を参加国間で共有して結束を維持したことだ。プライオリティーを「早期」というタイミングに置くことによって、今後の選択肢は自ずから絞られてくる。結果的に、協定の大幅見直しや、中国などを参加させての再交渉といったかく乱要因は封じることができる。

    今後のロードマップとして、「11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までに検討作業を完了する」と、設定できたことも大きい。ポイントは来年秋の米国の中間選挙だ。それまでに受け皿を作って、米国にとっての選択肢に仕立てておくことが何としても必要となるからだ。それまでの間、参加国の閣僚がそろう機会もそう多くない。そういう意味でいいタイミング設定だろう。

    第二に、「将来はTPPの高い水準のルールを受け入れることを条件に、TPPの拡大する」ことを盛り込んだことも重要だ。中国が参加するならば、この条件をクリアすることが必要となるが、当面無理だろう。むしろタイ、インドネシアなど参加を希望している国々を取り込むことが大事だ。

    TPPの目的は、アジアの成長市場の活力を取り込むためにルールを整備することにある。タイ、インドネシアなどは市場規模も大きく、日本企業をはじめサプライチェーンが展開しており、参加していけば将来における経済的実利は大きい。米国企業にとっても同様で、米国復帰の誘因にもなる。

    第三に、「米国の復帰を促す方策を検討」することを確認したことも重要だ。米国市場へのアクセスと引き換えに国内規制の改革を譲歩した、というベトナムなどの参加国は米国抜きのTPPに慎重という。しかしながら、米国抜きTPPといっても、それは単にプロセスに過ぎない。あくまでも目的は「米国が参加したTPP」である。

    ならばその可能性をどう見るか。

    米国が復帰する可能性はあるのか

    もちろん、トランプ政権にとってTPP離脱は選挙公約なので、今すぐ復帰するはずはない。ライトハイザー・米通商代表部(USTR)代表やロス商務長官もTPP離脱を前提とした二国間交渉をするのが仕事で、今その成果を挙げることが求められている立場の人たちだ。従って、その言葉だけで将来の在り方まで判断するのは早計だ。

    これまでの米国の歴史を振り返っても、米国はいずれ、TPP離脱という方針を修正してくるだろう。それは根拠なき期待ではない。米国から見て経済合理性があるからだ。模倣品対策の知財、銀行・小売りの参入、公共事業への参入など、産業界のビジネスチャンスを拡大するための交渉を、これから二国間で進めていくことになれば、莫大な時間とエネルギーが必要になる。米国商工会議所もそのことを理解して、TPP離脱には反対の立場だ。

    今、国務省、財務省などトランプ政権内の経済外交の戦略を支える政府高官たちが不在の状況だ。彼らがTPPの戦略的メリットを理解し、米国内の産業界から復帰の強い要望を受ける日もいずれやってくるのではないだろうか。

    しかし米国の復帰をじっと待っていても、その期待を実現できるわけではない。米国が復帰せざるを得ない状況を、能動的に作っていかない限り復帰はあり得ない。

    閣僚声明で「米国の復帰を促す方策を検討」することが盛り込まれた意味もそこにある。同時に、各国と連携して、官民それぞれ米国への働きかけを強めていくべきだろう。参加国からは米国の復帰に向けて日本に期待する声も上がっている。今後、日米関係においても日米経済対話での米国の風圧は高まるであろうが、日本のぶれないスタンスと覚悟が重要だ。

    TPP11の本質は米国に対する“防波堤”ではない

    それに関連して、日本のメディアでは、「TPP11の意味は日米二国間での米国の対日要求をけん制する、いわば防波堤だ」とする論がある。確かにそういう効果もあるかもしれないし、国内のTPP11慎重派を説得するためにそう言われているようだ。しかし「防波堤だ」と明示的に言っても、当然相手の米国が警戒するだけで、その結果、防波堤にはならないものだ。

    むしろTPP11の本質的な意味は、目先の駆け引きではなく、米国に対して将来の選択肢を提示することにある。そこを見誤ってはいけない。

    これから11月までの半年が正念場だ。裏では他の参加国に対して中国による揺さぶりもあるだろう。日本もTPPに絡めて、参加国にさまざまな支援の手を差し伸べて、中国の揺さぶりに動じないよう説得する外交力も必要になってくる。

    TPPRCEPは「統合」より「使い分け」をすべき

    今回、TPP11の閣僚会合と前後して、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の閣僚会議も開催された。

    RCEPの構図はこうだ。TPPに対抗してアジア諸国を取り込むことに注力する中身は二の次の中国。他方で知財や電子商取引などのルールづくりという中身を重視する日本。その両者の綱引きの場となっている。早期合意をしたい東南アジア諸国連合(ASEAN)を中国が取り込むことが懸念されるが、ルールなしの合意は単なる勢力圏争いの道具に堕することになるので、妥協すべきではないだろう。

    TPPRCEPは、いずれも究極の目的はアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)実現で。それへのアプローチとして並存して位置付けられている。

    これらをさらに統合すべきだとの論者もいる。観念論としてはともかくも、それぞれの具体的中身を見れば大いに疑問だ。統合の結果、TPPで既に合意された質の高いルールの中身が薄まることにもなりかねない。

    中国には、RCEPとの統合によってTPPの合意内容の希薄化を狙う意見もある。TPPを中国包囲網と捉える中国としてはあり得る考えだろう。しかしそれは質の高いルール作りで主導する日本の戦略目標には明らかに合致しない。

    大事なのは、相手国の経済の発展段階に応じて、TPPRCEPの間でルールの濃淡をつけた使い分けだ。今回のRCEPの共同声明でのキーワードは「協力」だ。TPPと違って、RCEPに参加する途上国の中には、先進国の支援で国内体制を整備をしなければルールを守れない国も多い。単なる観念論ではなく、そういう実態を踏まえた議論を主導するのが日本の役割だ。

    中国の受け止め方がどうであれ、TPPは決して中国包囲網ではない。狙いの第1は、米国にアジアに目を向けさせること。そして第2に、将来中国に質の高いルールを受け入れさせるためのステップである。その本質を誤解してはならない。

    そして、まずTPPを固めることで、RCEPのルールの中身をTPPに少しでも近いレベルにまで持っていくことを目指す。そういう連動性を視野に置いたダイナミックな戦略が日本の戦略であることを理解すべきだろう。


    30年前のAPEC創設時を彷彿とさせる

    このようなダイナミックな通商戦略の展開は、約30年前のAPEC創設時を思い出させる。

    当時、国際的な経済システムは大きく変革しつつあった。後に欧州連合(EU)として結実する欧州統合に向けた動きと、それに対抗する北米自由貿易協定(NAFTA)誕生に向けた交渉の動きがそれだ。それは日本とオーストラリアに危機感を芽生えさせ、両国が連携して推進したのがAPECであった。それと同時にAPECには、EUNAFTAが閉鎖的にならないようけん制しながらも、米国の関心をアジアに向けさせるという狙いもあった。

    今、当時のように国際経済秩序が大きく流動化しつつある中で、30年前に繰り広げられたダイナミックな通商戦略を想起させる。今回、TPP11への道筋を付けたのが、各国がそのAPECの場に集まった機会であって、しかも日豪の連携がカギであ ったことは歴史の巡り合わせだろうか。

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